よこはまには、二十三時五十三分(2018年筑駒中・国語)
2018年 筑波大学附属駒場中学 国語の問題です。
東大名誉教授の藤井貞和先生の「あけがたには」という詩が題材となっています。素晴らしい詩なので、引用させていただきます。まずは読んでみましょう。
あけがたには
夜汽車のなかを風が吹いていました
ふしぎな車内放送が風をつたって聞こえます
……よこはまには、二十三時五十三分
とつかが、零時五分
おおふな、零時十二分
ふじさわは、零時十七分
つじどうに、零時二十一分
ちがさきへ、零時二十五分
ひらつかで、零時三十一分
おおいそを、零時三十五分
にのみやでは、零時四十一分
こうずちゃく、零時四十五分
かものみやが、零時四十九分
おだわらを、零時五十三分
…………
ああ、この乗務車掌さんはわたしだ、日本語を
苦しんでいる、いや、日本語で苦しんでいる
日本語が、苦しんでいる
わたくしは眼を抑えて小さくなっていました
あけがたには、なごやにつきます(藤井貞和『ピューリファイ!』)
いかがでしょうか。
「詩」は難解というイメージがありますが、これは面白い。この詩は目で見ても声に出しても楽しめます。こういうのを「声に出して読みたい日本語」というのでしょうか。
よこはまには、二十三時五十三分
とつかが、零時五分
おおふな、零時十二分
ふじさわは、零時十七分
つじどうに、零時二十一分
ちがさきへ、零時二十五分
ひらつかで、零時三十一分
おおいそを、零時三十五分
にのみやでは、零時四十一分
こうずちゃく、零時四十五分
かものみやが、零時四十九分
おだわらを、零時五十三分
というように、言葉を使い分けているところに面白さがあります。
乗務車掌さんが苦しみながら、日本語を選択しています。日本語のプロである「わたし」も同じ経験を何度となく重ねてきたのでしょう。
さらにその内容を日本語で表現するために
「日本語を苦しんでいる」
「日本語で苦しんでいる」
「日本語が苦しんでいる」
のどれを使うのか悩んでいます。
車掌さんはうまくできているのに、自分はできない。そんな思いをかかえて「眼を抑えて小さくなって」いたのです。
筑駒は次のような設問をつけて、これらの理解を試しています。
問一 「ふしぎな車内放送」とありますが、どういうことが「ふしぎ」なのですか。
問二 「ああ、この乗務車掌さんはわたしだ」とは、どういうことですか。
問三 「わたくしは眼を抑えて小さくなっていました」とありますが、なぜですか。
ここでは、答えは付けませんが、考えてみてください。
設問では扱われていませんが、駅名が「ひらがな」になっているのも趣深いです。漢字にしてしまうと雰囲気がガラッと変わります。
あけがたには
夜汽車のなかを風が吹いていました
ふしぎな車内放送が風をつたって聞こえます
……横浜には、二十三時五十三分
戸塚が、零時五分
大船、零時十二分
藤沢は、零時十七分
辻堂に、零時二十一分
茅ヶ崎へ、零時二十五分
平塚で、零時三十一分
大磯を、零時三十五分
二宮では、零時四十一分
国府津着、零時四十五分
鴨宮が、零時四十九分
小田原を、零時五十三分
…………
ああ、この乗務車掌さんはわたしだ、日本語を
苦しんでいる、いや、日本語で苦しんでいる
日本語が、苦しんでいる
わたくしは眼を抑えて小さくなっていました
あけがたには、名古屋につきます
どんな題材を入試問題にするのかを見ると、その学校のレベルが分かります。
偏差値では測れない微妙な差も入試問題から感じ取ることができます。
偏差値ではなく、「過去問」で志望校を決めるという風潮が広がってほしいものです。
「入試問題が面白いから」という理由で行く学校を決めるのもありではないでしょうか。
面白い問題を作ることができる先生が、その学校にいるということです。
〈余談〉
横浜-品川間を移動するときに、よく横須賀線を利用します。
東海道線の方が速いのですが、東海道線のグリーン車はお酒を飲んで大声で喋っているおじさんが高確率でいる印象があるので、避けてしまいます。
一方、横須賀線はご覧の通りいつもガラガラで、貸し切りであることがほとんどです。
過去の記事もご覧ください。