東大にも合格できる人が、気象大学校に入るべきなのか
台風19号に関する報道で、「気象庁予報課長」が登場する場面が多くありました。「梶原靖司 予報課長」です。
経歴を調べてみると
気象大学校→長野地方気象台→東京管区気象台→予報部予報課→大阪管区気象台・技術部予報課・調査官→予報課予報第四班長→予報部業務課気象防災情報調整室長→予報部予報課長
となっています。(途中が飛んでいるかもしれません。)
気象庁予報部の組織を確認すると
●業務課
・気象防災情報調整室
・情報通信システム企画官
●予報課
・気象防災推進室
・航空予報室
・アジア太平洋気象防災センター
・主任予報官
・地域気象防災推進官
・航空予報技術開発推進官
●数値予報課
・データ同化技術開発推進官
・数値予報モデル開発推進官
●情報通信課
・システム運用室
・データネットワーク管理室
・国際通信管理官
となっています。
「予報課」の主な仕事は
1.気象、地象(地震及び火山現象を除く。)及び水象の予報及び警報に関すること(他部及び他課の所掌に属するものを除く。)。
2.天気相談に関すること。
3.気象、地象及び水象の観測の成果及び情報の速報に関すること。
であり、「台風19号」関連の仕事もここに含まれていると考えられます。
さて、本題です。
東大にも合格できる人が、気象大学校に入るべきなのでしょうか。(東大理一を蹴って気象大学校に入学する人が実際に存在するようです)
1つの指標として、気象庁長官になれるのかを考えてみます。
歴代の気象庁長官の出身大学を調べてみました。
初代:和達清夫(東大理学部)
第2代:畠山久尚(東大理学部)
第3代:柴田淑次(不明)
第4代:吉武素二(東大理学部)
第5代:高橋浩一郎(東大理学部)
第6代:毛利圭太郎(東大理学部)
第7代:有住直介(東大理学部)
第8代:窪田正八(東大理学部)
第9代:増澤譲太郎(東大理学部)
第10代:末廣重二(東大理学部)
第11代:内田英治(東大理学部)
第12代:菊地幸雄(不明)
第13代:立平良三(京大理学部)
第14代:新田尚(東大理学部)
第15代:二宮洸三(東大理学部)
第16代:小野俊行(東大理学部)
第17代:瀧川雄壮(東大理学部)
第18代:山本孝二(北大理学部)
第19代:北出武夫(東大理学部)
第20代:長坂昴一(名大理学部)
第21代:平木哲(東大理学部)
第22代:櫻井邦雄(不明)
第23代:羽鳥光彦(東北大理学部)
第24代:西出則武(東大理学部)
第25代:橋田俊彦(神戸大理学部)
第26代:関田康雄(東大理学部)
以上のように、気象大学校出身で気象庁長官になった人は確認できません。
また、予報課長から長官になっている第15代二宮洸三氏の経歴は、
「1958年気象庁入庁→1985年予報課長→1993年長官」
となっています。予報課長になるまで27年掛かっています。
冒頭の梶原靖司予報課長は1983年に入庁しているので、2010年頃に予報課長になっていなければ、長官になるのは難しいと考えられます。
気象庁で出世するためには、気象大学校に入るよりも、東大を卒業した後に総合職試験からキャリア組として入庁する方が有利です。
非常に重要な点だと思われますが、気象大学校の「卒業後の進路」のページでは全く触れられていませんでした。
※気象大学校「卒業後の進路」:http://www.mc-jma.go.jp/mcjma/educational/career.htm
河合塾のボーダー偏差値は
東大理一:67.5、気象大学校:67.5
と同じランクなので、「東大に行けないから気象大学校 or 気象大学校に行けないから東大」ということはなさそうです。将来の進路を考えたうえで、どちらに進学するのかをよく考えた方が良いかもしれません。
もちろん、将来の出世だけでなく、それぞれの学校で自分のやりたいことができるのかも大切です。
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